山神神社(盛岡市大ケ生 金山跡)馬頭観音。
- 2014/11/17
- 02:01
山神神社 〒020-0404 盛岡市大ケ生17地割
地図
大ヶ生金山は、明治36年細川寅吉により発見され明治39年に郡司半助が大萱生金山として創業を始め、後に経営主は武田氏・村上氏と 移り合資会社を組織し、水力掲鉱製錬所を設けて創業した。その後、住友合資会社の手に移り、元山より矢巾駅間に鉄索を架空し、小坂 ・日立鉱山に売鉱した。昭和9年には元山~萬寿坑~製錬所~矢巾駅を索道でつなぎ精化製錬・浮遊選鉱場などが稼動し盛況であったが 戦争激化により昭和18年に金整備令が発令され閉山となり現在に至っている。


「大萱生金山元山鉱跡」の説明。

「大萱生里づくり委員会」の説明書き。


「萬寿坑跡」の説明。

この看板を写メしてその場で何回も見ました。
跡で馬頭観音を探したのです。
黒森山に登山してきたのか登山入り口と書いてある方から降りてきた人がいました。
一人で登山なんて私には考えられませんw

萬寿坑跡です。
案内を頼むともぐって行けるようですよ。
昔妙全と来た時にはどうやら「大生抗」を見たと思います。
「元山抗」というようです。
蜂がたくさんいて車から降りれなかったんですその時。

隣にどんと神社がありました。

萬寿坑と山の神さん。

この辺り全部を守っているのだ!という堂々としたものがありました。


「山神神社」と書いてあります。

もう一度ゆっくり中を見てみましょう。

この中にはこうもりがたくさんいたと一緒に行っている人が言っていました。
あまり気持ちのいいものではありませんよね。
そしてその説明看板の中に馬頭観音さんがこの近くにあると書いてあるので探しました。

「虫壁の御蒼前様」とあってその隣に石碑がありました。

その石碑に「馬頭観音」と書いてあってびっくりー!でした。
てっきりお堂があるかと期待していましたから
といっても理解できてほっとしました。
この馬頭観音さんは金山の入り口にあります。

大ヶ生地域の文化財と歴史文化資源
という資料を見るとまだ神社があるようですね。
地域の人たちは全部行ったのかもしれません。
これを見るとちょっと気になる課題になりますがいつか行けたらいいなくらいにしておきましょう。
妙恵。
地図
大ヶ生金山は、明治36年細川寅吉により発見され明治39年に郡司半助が大萱生金山として創業を始め、後に経営主は武田氏・村上氏と 移り合資会社を組織し、水力掲鉱製錬所を設けて創業した。その後、住友合資会社の手に移り、元山より矢巾駅間に鉄索を架空し、小坂 ・日立鉱山に売鉱した。昭和9年には元山~萬寿坑~製錬所~矢巾駅を索道でつなぎ精化製錬・浮遊選鉱場などが稼動し盛況であったが 戦争激化により昭和18年に金整備令が発令され閉山となり現在に至っている。


「大萱生金山元山鉱跡」の説明。

「大萱生里づくり委員会」の説明書き。


「萬寿坑跡」の説明。

この看板を写メしてその場で何回も見ました。
跡で馬頭観音を探したのです。
黒森山に登山してきたのか登山入り口と書いてある方から降りてきた人がいました。
一人で登山なんて私には考えられませんw

萬寿坑跡です。
案内を頼むともぐって行けるようですよ。
昔妙全と来た時にはどうやら「大生抗」を見たと思います。
「元山抗」というようです。
蜂がたくさんいて車から降りれなかったんですその時。

隣にどんと神社がありました。

萬寿坑と山の神さん。

この辺り全部を守っているのだ!という堂々としたものがありました。


「山神神社」と書いてあります。

もう一度ゆっくり中を見てみましょう。

この中にはこうもりがたくさんいたと一緒に行っている人が言っていました。
あまり気持ちのいいものではありませんよね。
そしてその説明看板の中に馬頭観音さんがこの近くにあると書いてあるので探しました。

「虫壁の御蒼前様」とあってその隣に石碑がありました。

その石碑に「馬頭観音」と書いてあってびっくりー!でした。
てっきりお堂があるかと期待していましたから
といっても理解できてほっとしました。
この馬頭観音さんは金山の入り口にあります。

大ヶ生地域の文化財と歴史文化資源
という資料を見るとまだ神社があるようですね。
地域の人たちは全部行ったのかもしれません。
これを見るとちょっと気になる課題になりますがいつか行けたらいいなくらいにしておきましょう。
妙恵。
